昭和56年3月2日 朝の御理解 御理解 第48節 「わが子の病気でも可愛い可愛いと思うてうろたえるといけぬぞ、云ふ事を聞かぬ時に、ままよと思うて放っておくやうな気になって信心してやれ、おかげが受けられる。」
子供の病気親が一心におすがりする、それでも病気はだんだん重くなっていくばかり、医者も見放すという。そういう時にいよいよ神様におすがりをするわけです、けれどもなかば諦めてそしてお願いをするという意味ではないですよね。諦めるというのではないです。ままよと思うて放っておくという事は。そこには何んというでしょうか本当に、この世にあるもの一切神愛成る程〃難は霊験〃という事が、本当に分らせて頂かなければ出来ないのですよね。
たとえよし助かる助からないは別として、それでもすがらずにはおれんない。いうならばまあ神様を信ずる力というものは、おかげになるという事はその時に助かるという事とは違うんです。たとへよしそれが死んでも、死んでその事がおかげになる、必ずそれがおかげになるというのは、やはりままよという心をもってして、はじめて頂けはじめて云える事じぁないかと思うですね。信心しておれば、雨も降らんか風も吹かんかという事はない。それこそ雨と風とが一緒になって雨風のしるしい時もありますけれども、それ一切が神愛と分かる時に、右になっても左になっても、おかげと分らしてもらう時に、はじめてその事からもう間違ひない、おかげの世界が開けてくる。問題はその時のやはり受け方である。頂き方である。
けれどもやはりその難儀に直面致しますと、本当にどうしてこういう事がと思うような事がございます。それでもやはり神様の働きに間違ひがあろうはずがない。どうしてというその心がどういう所にこういう悲しい思いが、難儀な事にであうのであろうかと、それを追求する心。どうしてこういう事があるだろうかと云うた、おかげであったら信心はそれで止まっておる。けれどもどうしてそういう事にならなければならない物があったんであろうかと、どういうめぐりの為にというような所を本気で、追求してまいります所から何か本然としたものが頂けてくる。そういう私は信心を頂いていきたいとこう思う。そういう所からです、もういうならばどういう場合であっても、これは私の事ですけれども、三男の幹三郎が肉腫でもう97%は駄目だという。私は助かるとか助からないとかと、勿論御信者の皆さんが、それこそ打って一丸となって、勢祈念を毎日特別御祈念をして下さいました。
けれども私は案外その事に関心をよせなかったんです。それはどういう事かというと、たとえ死んでもおかげと、いったような腹が出けておったからじあないかと思うんです。おかげを頂いてそれこそ百のものが九十七パーセントは駄目だと、現代医学では云われた、しかしその後の一つでも現代医学では助からない、もうこれは奇跡を待つより他はないとという程しの病気でしたからね。それが助かった。
あれは自分の息子だったから、それが出けたのかもしれん。もしあれが信者さんの所のであったら、かへって私はそういう、兎に角助けて下さいという事だけになっとったかもしれませんですね。本当にいつの間にこういうような心の状態が、開けてきたか自分にも分かりませんけれども。これも弟の戦死を受けた時、今申しますようにこれ程一生懸命に一家中でおねがいを、させて頂いてしかも終戦、しかも終戦十五日前に戦死するなんて目もあてられない。神様いうならこれ程の信心を一生懸命しておるとに、どういう事だつたのでせうという事を、神様を拝むというようなものではなくてその元が知りたかった。
たとえばまあだ戦争華々しい戦争の時ならば、いうならお国としても戦死の遺族として、特別に取り扱ひを受ける事も出けたのだけれど、もうね十五日後には終戦。七年間も兵隊に行っとりましたからね。それをもう、もう十五日位何んとかなりませんでしたかというような、その時分の私の信心の状態はそうでしたけれども、どうしてと云ひながらではありますけれども、どこにそういう悲しい思ひをしなければならない、元があったかという事の追及にもう一生懸命でした。始めて私は戦死の公報を受けたその日から、御本部参拝を始めました。月参りを。
もういくら神様にお願いしたっちゃもう神も仏もないばのというような人もたく山ある中に、私はそこん所をこう神様に打ちむこうて行ったとこう思うんです。いつもお話しをしますように、戦死の公報を受けておったけれども、ひょっとして万が一といったような思ひがあった。まあその時分復員の軍人がもういっぱいでした。もうその列車が、入ってくるその度んびにたく山な復員軍人が、どろどろとこう降りたり、乗ったりするような中に、御本部参拝を始めました。
御本部参拝をさせて頂く行く道は、そのたく山な復員の方達の中に、いようとして弟が混じっとるかもしれん、探すんですよね、心探しをする。勿論夢のような話しですけれども、たしかにそんな心であった。もう御本部参拝を致しましてもう親先生は宿に引き揚げられる。私は奥城に残って一晩中御祈念させて頂いた。これ程の信心するのに、どうしてこんな事が、そりあもう日本中にはたく山な人が、それこそ戦死致しましたから、私の方だけじぁないけれども、けれども信心のある者と無い者は、親のあるものと無いのちがいというものも聞いておるし、しかも終戦もう十五日すりぁ凱旋出来るというような所でおかげを頂きながら、そういう事になって、だから神様からこういうわけなんだった、こういうわけだと例えば、まあいうならおしらせでも頂いたら、この心もちがすっきりするだろうと思うてのまあ事であり、又御本部参拝でもあった。一晩中御祈念させてもらい、それこそまんじりともせずに御祈念をしました。
けれどももうそれこそ、おしらせのおの字も頂かなかった。それでもう宿に引き揚げてすぐ帰らせて頂く、親先生の鞄を持って二人で宿から下がってくる時に、親先生が「大坪さん今んだ何かお土産が出けたか」とこう云われた。時に「出けました」と別に私はお土産を買ったわけでもなからなければ、私は御本部参拝した時に、お土産というものを買った事がないです。昔から何十年間。けども出けましたというた途端にですね、これはもう私はそれを名状し難いですけれども、どうーと何か心ん中にこう入ってきたような感じがしました。
そしてもう途端に有難か涙がこぼれてもう有難うして有難うしてこたえんのですよ。分からん。金光駅に着きましたら、丁度京都行きの鈍行が、丁度行った途端に着きました。
金光駅に停りましたですから。したらその中からたく山な復員軍人が降りて来たんですよね。確かに行きがけにはあの中に、ひょっとして弟がと、こういうような心が動いたんですけれども、もうそういう心がさらさら無いです。むしろあの一人一人に御苦労さんでした・御苦労さんでしたと、こう云うて廻はりたいような心があるんです。汽車に乗らせて頂きました。満員でした。そりこそ窓から乗らんならんというような時代ですかんら。ところがすぐ席がありました。けども次々とお年寄りの方やら見えると、替わってあげる。丁度車窓から稲田が、稲穂の出る前のこの位ばかり伸びてる時分でしたが、もう稲田を車窓から眺めておって有難か涙がこぼれるんです。人に席を譲って有難くしてたまらんのです。あこれは自分は気狂ひになっていきよるとじぁないだろうかと、思う位に有難いんです。
そして今にして思うへば、ははああれが御神徳であったなあというふうに思うんです。御神徳を頂くという事は、皆さんでもだから本当に難儀だ困った事だと思うっとる事がね、心ん中にすきっとして、はぁおかげと頂ける心というのは、もうお徳です。そういう心が頂けていかねばね、私はもう子供がしんしょうを云う時に、云う事を聞かん時に、もうお母さんは、あんたにはかまはんよ、と云ったような心の状態というものが、信心で頂けるという事はないと思うです。やっぱり苦しかろう親の情として、子供が例えばそこで死ぬか生きるかといった、病気をしとるならです。本当に苦しかろう、楽にしてやりたい、どうぞおかげ頂くいて下さい、まあ御教には、ままよという心になってとおっしゃるから、もう本当に、放任したような心で、神様にすがっておるけれども、やはり家の事がいうならば心配でたまらん。病人ほうからかして教会にお参りをする。ままよというて放任。形の上では放任して神様にすがっておるようで、あっても心ん中はもうそれこそ、千々に砕ける思ひで神様におすがりしておる。
だからそれ、そえいう一つの勢いというような信心によって、おかげを受ける事がありますけれども、そのぎりぎりの根本の所はね、それこそ名状しがたいのです。たしかにお参りしてくるまでは、本当にあれもお届けしよう、これもお願いしよう。
そして心の心配で心配でたまらん事をもって、お広前にお参りをするけれども、不思議にお広前についた途端に心がすきっとしたり、御理解を頂いている中に、はあ心から、反対にお礼を申し上げるような心。それこそおかげで信心が出けますといったような、心の状態になられた時にはもう私はお徳の世界だと思う。そういう心が開けて、開けに開けてくるという事、こりあ又限りがありません。最近しきりに私が申しております、神の大恩を知らぬから、互違ひになる。神のおかげを知らぬからとか、大恩が分かり、そして云うならば、おかげがおかげと分らしてもらうという、この度合いというものは又限りがないです。百おかげと感じる、千も万もおかげと感じるというのですから限りが無いです。いわゆる四十八節です。もう始終いつもが広がりに広がっていく、心の状態というものは一ぺん、例えば難が霊験であるという実感を本当に体験さして、貰う事だと思うですね。今まで心に何んとはなしに、難儀と感じておったその難儀が、反対におかげと感じられる。こりあもう分からんです。どうしてそういう心になるか。御理解を頂いたから、お広前の雰囲気にふれたからと云へば、それまでですけれども、それを厳密にその同じ心がいうなら、手のひらを返わすような心に変わるという事は、もうすでに私はお徳を受けたいうならば、証のようなものだと思うんです。
だからそういう信心をいよいよどのような場合にあっても、それを当てはめていって、その心の状態を広げていくという精進、それがですいうならばいよいよ、これは子供が病気という時だけでなく、どんな場合であってもです、もうどうかなろうといったような投げやり的なものではなくてです、右左はもうあなたにおまかせしたと、で右となろうと左になろうともう間違いなく、お礼が云えれる心の状態を育てるという事がです。私はこの御理解のシンと思うです。放っておくような心持ち放っておけとおっしゃるのではない。放っておくような心持ちで神にすがるという所。どうしてこういうような悲しい事になったであろうかと、私も思いもし云ひもして、けれどもねどうしてこういう事に、ならなければならなかったかという事をね、本気で追求した事なんです。もうそこに神も仏もあるもんかといったらもうそれでおしまい。それはもうやはり、信心が止まっておるという事になる。
けどもどうしてというそのどうしてを、本気で神様へ打ち向うてそれこそ神様と首引きで、一晩でもなら御神前に座わりぬかせて頂くといったような気持ちで、そこに神様から何のおしらせ一つ頂かなかったんだけれども、私の心ん中に今から考えて、いわゆる名状し難い心の状態。今までいうならば悲しい難儀と思うておったのが、反対にお礼が云えれるように心の状態が開けてきた。私は霊様助かられるというのはねそういう事だと思うですよ。自分がいうなら死んだ、それをなら家族の者が嘆き悲しんでおるというだけでは、御霊が本当に助からんと思う、その御霊が生かすという事はもうおかげでいうなら、信心が一段と強くなった、その事を通してお徳がうけられたといったような信心を頂いた時に、いうなら御霊もいうならば死に甲斐があったという事。はじめて御霊が生き生きとしてくるという事になるのじぁないでせうか。
限りがない信心のお話しですけれども、私共が体験さしてもらう心の中に感じておったどうしてこんな、どうして分からんじあろか、どしてこんな事がというふうに思うけれども、どうして分らんと思うておったその心が、それこそ、こうして、私を鍛えて下さるというような心の状態に、かえられるという事はね、そこから先にうまれてくるその心が、説明しようにもしようがない程しの、名状しがたい心の状態。それを私はお徳だというふうに思うんです。それを積み上げていくという事は又限りがない。四十八節です。もういつもがお徳を頂けれるまあいうならば、チャンスにいつもが、だいたいは恵まれておる人だと日々の行き方の上に、これを頂いていこうという精進、ままよというて放っておくというので、ただ放任するというのではなくて、そういう心で神にすがっていく、その向うに名状しがたい心の状態が開けてくるんですよね。 とうぞ